アボリジニ

先住民族 アボリジニ

Aborigine

オーストラリアの先住民族の事をアボリジニといいます。1770年にオーストラリア大陸はキャプテンクックにより発見され、囚人が運ばれ、自由移民などにより今のオーストラリアが有る訳ですが、そのずっとずっと前からオーストラリアには、彼らが生活していました。

アボリジニの歴史は、文明が発達するかなり前から存在する為に、はっきりと解明されていないことが多々あります。例えば、彼らは何時、何処からやってきたのか?これには、いろいろな説がありますが、遺物等の調査により約5万年前~10万年前に住み始めたのではないかと言われています。

最近の定説によれば、その頃はちょうど氷河期の最中で海面が今よりも120~200メートル程低かったようで、アボリジニの祖先は、東南アジアのほうから飛び石のように島を渡ってきたのだはないかと言われています。ただ、その他にも説があり研究者の中には、オーストラリアで発生したのでは?という説も有ります。

アボリジニがオーストラリアに住み着いて、約2万年かけてオーストラリアの全土に広がったといわれています。茶褐色の肌を持ち多い時期で約600部族存在し、言葉も部族ごと違い200種類程の言語が話されていました。ただ、文字を持っていませんでした。

例えば、住む場所によっては体つきや、顔つきなども違い、食料が豊富にあるような沿岸部で生活していた部族は、がっちりとした体つきで顔も優しく気性も穏やかだったそうです。

到着して生活を始めてキャプテンクックがやってくるまでは、北の沿岸地域のアボリジニが他の国の漁師と交易を行なっていた以外は、他の民族との交易がほとんど有りませんでした。その為に、独特の生活様式や、宗教観、文化を持っています。

農耕はせず、狩猟採集で野生に有る物だけを食べて生活していました。狩をする際にはブーメランや槍を巧みに使い的確に獲物を仕留めていました。更には、動物の鳴きまねや口笛などで動物をおびき寄せて捕まえたり、毒をもった植物を使用して漁をしたりしたそうです。(その食事を再現し、観光地のレストランなどでも今現在食べる事が可能です。カンガルーのステーキや芋虫など)

ドリーミングストーリーと呼ばれる神話が残っていますが、アボリジニは自然宗教で、部族ごとに崇拝する物も異なり、いわゆる聖地も部族ごと違います。有名な物はエアーズロックだったりしますが、例えば小さな石ころだったり木だったりもします。中にはカンガルーを祖先と崇めている民族などもあるようで、その部族は、もちろんカンガルーを殺す事などしませんでした。

■イギリスからの侵略

オーストラリアのアボリジニの歴史は、とにかくゆっくりと流れていきました。そんな中、1770年にキャプテンクックが到達し、1788年にイギリスからの第一次流刑団が到着します。木を切り倒し、家を立て急ピッチでこの地は開拓されていきました。当時30万人程いたアボリジニは1900年代に入ると5万から6万人程まで激減(虐殺病気)し土地を追われてしまいます。

長い歴史の中でたったの100年弱の期間でアボリジニの絶滅の危機が迫ります。1920年にオーストラリア政府はようやく先住民族の保護政策を始めました。その政策とは彼等を白人の影響無い保護区域に移住させたりしました。結局は、アボリジニを隔離したという結果に繋がります。

1967年に市民権を与え1993年のつい最近に、ようやく先住権という権利によってアボリジニが住んでいた土地の所有権が認められました。ただ考えないといけないのは、オーストラリアは、もともとアボリジニが自由に生活していた大陸なんです。

■今現在のアボリジニ

正確には今現在のアボリジニの人口は、把握されていません。

現在、アボリジニは都市部で私たちと変わらない生活をおくる人々と、遠隔地で生活を送る人々に別れます。ただ、純血のアボリジニはほとんどいなくなり混血が進んでいます。アボリジニの居住区(保護区)は、殆どは内陸地に広がっており、北部のアーネムランドなどは、有名な場所です。もちろん許可なくしては居住者以外は厳しい制限がある為、入る事が出来ません。

与えられた住居に生活し、保護のお金を貰い堕落した生活を送る人々もいて問題になっています。更には、アルコール中毒も社会問題になっています。現在、アボリジニ居住区にアルコールを持ち込む行為は、オーストラリアの法律で禁止されております。

結局、人間の文化が発達する事によって、地球の至る所でさまざまな問題が起こっています。